東日本大震災・避難生活38h

3/11 14:46 地震発生
勤務中に地震発生、数分後に停電。屋外に避難
信号なども停止し道路が渋滞しはじめ、公衆電話に列が出来る
テレビでの情報入手が不可のため、ツイッターで現状確認
1h程様子をみて上司の指示で解散・一時帰宅命令

同日 16:30 一時帰宅
帰宅途中家族と合流。一時帰宅し、ブレーカーを落とし即座に
地元小学校へ避難
津波勧告エリアのため、消防車が警報を鳴らして避難指示

同日 16:50 避難所へ避難
地元小学校の体育館へ避難
入り口で名前を記入(市の要請で生存確認用とのこの)
すでに1000名程が避難。毛布など持参している方は寒さをしのげるが、
何も持たない人は膝を抱えて暖をとる状態。津波が到達しているため、
勧告エリアに近づかないよう指示あり

同日 21:00 水の配給開始
水道企業より水の配給が開始
校舎の水洗トイレが使用不可に。停電のため、光源はロウソク、懐中電灯
の灯りと、月の光のみ。

同日 22:00 夕食の配給
カップラーメンの配給あり
水道とガスは停止していなかったため、40名ずつ家庭科室に移動し
カップラーメンでの夕食

3/12 深夜2:50 毛布の配給
毛布の配給あり
気温2.3度の中、常に震度3程度の余震が続いたためほぼ睡眠とれず

同日 早朝6:00 朝食の配給
カップラーメンの配給あり
夜があけ、多少不安が解消するも津波の被害状況がわからないため各自
自宅へ一時帰宅するひとが多数

同日 7:30〜9:30 市内の状況確認
市街地は目立った建物の破損などなし
半地下のコンビニエンスストアが営業していたため、食品を購入するため
入店。暗い中1h近く並んで購入。停電でレジが使えないため、店員が
ハンディスキャンで価格を確認し、電卓で金額を清算
(私の会計終了時で釣り銭が切れたため、釣り銭を必要とする人は会計不可に)

同日 11:00 昼食の配給
おにぎりとパンの配給あり
塩おにぎりとあんぱんや食パンなど配給
余震も落ち着いており、天気もよく子供たちが走り回り、一見いつもの日常
と錯覚する程

同日 17:30 夕食の配給
お弁当の配給あり
海老フライ、ハンバーグ、ポテトサラダ、しそ昆布、春巻き、ごはんのお弁当
ようやく普通の食事をとることができ、関係各所に感謝

同日 18:00 就寝
ラジオなどで被害状況を確認
停電もいまだ解消されておらず、余震も1h置きに発生したためほぼ眠れず

2/13 早朝4:00 地震速報・停電解消
停電が解消され歓声があがる
大津波警報津波警報に、余震も減りようやく峠を越す

同日 6:00 朝食配給
おにぎり、カップラーメン、お弁当、パンなどの配給
避難していた方々も各々帰宅しはじめる